コンクリのフリル

手collage・blog

変わる変わらないの同居、瞬息の回転からの俯瞰

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私はいま31歳なのだけれど、20代たちが目の前で回転するのを本当に最近よく見る。ついこの間までは半周くらいまでしている心地だったのが、最近はそれらが目が回るレベルで何回も回転していると思う。そしてそれを「見た」という感覚がすごい、つまり俯瞰している自分がいて、それに対してただの地の私に「やべえここまで生きてよかった」という感慨コンマ遅れで押し寄せ、ちょっといやかなりクラクラする。
例えば、18歳〜23歳頃(思考だけ膨らんで社会的に生存していなかった時期)に私の何もかもの原点になった向井秀徳さんと、24歳以降シンガーソングライターというものが好きになったきっかけである大森靖子さんの2マンライブが先日あって、そこには格好良さをキープしている安心感と、怖い位更新されまくっているなというものが同居しており、これは比喩ではなく、アンコールでその2人はアツいハグをしていた。一緒にお互いの曲を演奏していた。20代の自分が見ていれば「公開セックス」とかそういう雑い表現をアテガっていただろうけど、今の私が感じたのは「お互いがお互いを認めていて美しいな」ということ。これがどうヤバイとかの実況にはもう興味がなくなっていて、ほんとうにただ、心が穏やかになった。そうだよね、みたいな感慨。
2人それぞれの私の好きな曲、春らしい部門、を貼りますね

 

思い出がたくさんあって近寄らないようにしていた土地の桜が、どうしても見たくなったのは単純に春のせいであり、変わらず静かに咲いていることを確認しながら酒を飲みながら、20代後半の薬であった小谷美紗子さんを聴きながら、簡単に号泣した
(小谷さんはもっと若い女性に聴かれるべきすぎると思っています)

例えば、6年前に肉体を焼くほどの悲しみや混乱や断絶拒絶、封印があったとして、それが3年前に実は開封されていたことに、今になって気がついて。あんなこともあったね・という形の会話、今を肯定・応援しあえたということがあり、瞬息的に6年前が目の前で柔らかい形で変貌していくのを見た。砂時計が落ちきった瞬間にひっくり返す、そしてまた砂が落ちてゆくというような状況を見た。その粒のひとつひとつには、物理的に消えない類のもの、昔はあったけどもう違うな・と思える類のもの、それらが円やかな形で総括されて私は心底ほっとしてしまった。戻る戻らないでいえば、戻らないのだけれど、変わる変わらないでいえば、どちらも同居していて、その事実を感じることが出来たのは生まれて初めてだったと思う。少し意味合いが違うけど、2軸で時間が流れているという意味合いでは、悪魔のしるしの危口さんのこのイラストも頭に浮かんだ。

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時間の経過の実感は、白髪やシワが増えたりしていくのだろうけれど、記憶を残す優先順位としては、私は圧倒的に自分にまつわる関係たちとその時のBGM、というものが強くて、同級生と過去話をしたところで全くついていけないことが多い。ちなみに私は10代後半に、忘れる・記憶が飛ぶ・忘れられない・思い出す・思い出した際に事実が何か分からなくなる等、記憶にまつわる部分で混乱を抱えており、それらのテーマソングがナンバーガールの性的少女だった。

思い出したくないから忘れることにするよ
思い出す必要はないから すっかり忘れてしまった
どうでもいいから 思い出なんて
どうでもいいから 記憶なんて
忘れてしまうよ カンタンに
忘れてしまえば 楽勝よ
記憶を消して、記憶を自ら消去した
記憶を消して、記憶を己でブチ消した
忘れてしまった 忘れてしまった

これは明確な意志なのですが、これからも好きなひとと分かり合えたり、合えなかったこと全てをハグして、またねといえる人でありたい。人生それしか大事なことはないんじゃないの、という気がしている。

ネットラジオ「バイバイマイマイ と はな の starコラさっさと」

唐突ですが、大学時代の友人で、現在は2児のママでもある友人とネットラジオを始めました

▼▼▼その名も「バイバイマイマイ と はな の starコラさっさと」▼▼▼

soundcloud.com

ジングルの作詞作曲編曲、ラジオの編集も全部バイバイによるもの👏
収録はマイホームで。↓アー写ごっこ

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つまり私は喋っただけ…ビジュアルのコラージュを担当予定!(間に合わなかったからこれから作りますハワワワワ。今でているビジュアルは、インスタのストーリーで作りました、本当はGIFだらけでむっちゃ動くのだけれど。インスタGIFラブ)ゆるく楽しくやっていくので、よかったら聞いてください🕊🌴公式ツイッターもこれから作ろうとしています。

録ったあとに気がついたのですが、バイバイとは昔から一般的にはなにそれキモとアシラワれるような内容も含め淡々とコアな話ができる貴重な関係だったなと。だからラジオでも抑揚がないように聞こえるかもしれないけれど、話しながらそういうところに気がついていく、というのも素敵だと思ったのです、もう恥ずい云々もなんだかなくなってきた気がするし。そして彼女は異様に私のことを評価・肯定してくれている数少ない友人のひとりであり、「結婚したり母親になっても、こんなにスタンスが変わらない人もいるんだ」と飛び抜けて思える女性です。彼女の子供ちゃんたちも超かわいいのだ。

そして公開する時に気がついたのは、私のネット内での匿名依存とかそのあたり。Facebook=会社・仕事用という意識が強くて、Facebookでの公開に踏み切れなかった(鍵つきのインスタと、匿名のツイッターでは公開した)。けど、そういうSNSごとのキャラ分けみたいなことによって、特に有益なことって今後ないんじゃないのかな(色んな顔を持つのではなくて、1本化した方がシンプルなのでは)と思いつつ、最近読んだヨッピーさんの本には仕事なオレとそうでない活動をするオレを同居させてまおう!会社にはバレなきゃ平気!(主に副業の話ではあるのだけど)ということが書いてあり、それもそうだなと思ったり。この辺りをこじらせているのは、完全に世代感(元2chねら)な気がするのですが、皆様いかがでしょうか。古いでしょうか。とか。

とにもかくにも、やりながら色んなことを考えられる気がして楽しみです。

自分が知らないだけで、それは未来

ジムで走れたら青、プールで泳げたら黄色、たくさん歩けたら緑、お酒を飲んだら赤。今年からこのルールで毎日シール、そして短い日記をつけるようにしている。真っ赤な1月を反省して、青や緑が少しだけ増えた2月。

3月・梅を見に湯河原、初めての手湯・初めて食べる深海魚。黒ムートンをやめて白スニーカー、ニット帽が野暮ったく袖の長さも変えたい気候、春うらら。ご自由にスタイルの茣蓙・敷かれたウッドチップ、山菜蕎麦+味噌田楽+熱燗。サーファーがまだ数人しかいない海に、ゆっくり参戦するグレープフルーツ。

12月に終わり絶った人から、元気ですかの連絡。前より元気ですと返信、既読、元気なら何よりです、と。嗚呼これは髪を切って、何か新しい音楽を聴くフェーズなんだろうな。

穏やかさに特に集中したい季節が到来している。世界が隆起しだすので、毎度その切なさに爆発しかける。感極まるどころの騒ぎではない。小沢健二がシャボン玉を散りばめた自身のアートワークを「破壊的なデザイン」と語る記事を読んだときも、似た発作が起きた。春発作とでもするか。彼が絶望を天国的な方向に転換し、感情の起伏を遠い山々のように眺められているとしたら、それは本当に魔法だなと思う。

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可能な範囲で、自分を肯定的に保つために努力をし始めた2018年である。

その1:旬と出会うよう意識をすること。

スーパーの青果コーナーをじっくり見て、水水しいそれに触り重さを感じ、どれかを選び、食べること。回転寿司屋で回る手書きメニューを目で追うこと、今!という色をしてギン光る魚たちを見て、食べること。花屋でlook meモードの子を連れて帰り、一番綺麗なときを見届けること。季節に接近し、共に暮らすこと。

その2:明日に期待をして眠ること。

「一晩水に漬ける」のきらめき!椎茸や煮干しや昆布のこと。その様子を見るために、朝起きることができる。また明日カーテンを開けたいなと思いながら、カーテンを閉めて眠ること。

その3:トライアルヤクザ。

自分はそもそも他者と道がズレているヤクザなのである!と思えば、共感覚の出会えなさに悲しんだり思い悩むことが減るのでは・もう少し楽になるのでは、という仮説。

その4:好きという感情を素直に口に出すこと。

出来たらいいな・行けたらいいな・会えたらいいな・買えたらいいな等々、こうなったらいいなシリーズは、口に出すようにする。誰かが死んだりしない限り、何かを愛でることは絶対に自由で良いはずと思うことにする。そうとする、ということから肯定は生まれると思いたい。

今はやりたいことは、セルフ鼓舞と友だちへの励ましだけな気がする。総じて応援ってことになるかも。そして最近は信頼している人に勧められたことは、いずれやることになるのでは?という気がしている。自分では見えない部分を見ることができ、それを愛してくれている人たち。指摘を受けた時は「まっさかあ?」と思うことも、自分が知らないだけで、それは未来なんじゃないかと思ったりする。思う、としてみる。

 

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このテキストは、She is のコラム公募(テーマは「変身のとき」)に応募したものです。途中のコラージュ画像は、文章を書いたあとに合わせて作りました。

🏃‍♀️🏃‍♀️🏃‍♀️

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年始は長い時間テレビを見てビールやワインばかり飲んでいますが、12月も前半忙殺→後半連日忘年会で、ジムに全く行けていない

元々体育的なことは得意なのですが唯一走ることは、短距離でも長距離でも自分にとくにメンタル的にハマっていない気がして(中3のとき短距離テストのあとに体育の成績が下がって教師にクレームを言いに行った熱き思い出や、高3のときに3キロを授業で走らされて「こんなつらいことはもう自ら二度とやるものか。。」と走る行為と決別を誓った思い出などが強烈)、これだけはちょっと。。という感じだったのだけれど、ジムで無理くりたまに走るようになり、その習慣が途切れると「そろそろ走らねば…」と思うようになった。これはすごい。身体が話しかけてくるかんじ。たまに歩きながら6キロを45分で走るというのが、最近できるようになったこと。ただ、昔も今も走るあいだ何を考えればいいのか迷子すぎてiPhoneで音楽きいて気を紛らわしているのだけど、紛らわしている感が拭えない感があるなあと思っていた。

そして古本屋で200円で買った、ランナーでもある村上春樹のエッセイを風呂場で読み終わった。

走っている最中の実況(身体のこともメンタルのことも)が続いてたのしい。きつくなってくると、自分を機械だと言い聞かせたり。面白かったのは、村上さんは夏はトライアスロンをやるので水泳の描写もあったこと。わたしは走ることが嫌いな代わりに水泳は大好きという自負があり、生理さえ発生しなければずっとスイミングスクールに通い続けていたと思う。ランニングでタイムを競うメンタルはないけれど、水泳では1秒でもタイムを縮めるために練習しまくっていた時期があるので、「そうか、水泳しているときのあの頭の状態を走っているときにも作れたら気持ちいいんだなきっと」ということが、本を読んでいて想像できた。これは収穫。水泳は水の中にいるだけで、周りの環境音は断ち切りやすいし、自分の呼吸に意識的になりやすいんだと思う。読書をしているときくらい超個人になれるから好き。ランニングでもそれを起こせたらいいけど、いろんな人がいて、いろんな音が鳴っているジムだと難しいかなー?とか。水泳もまたたまにやってみたらいいかも。

お酒はやめられないけど、今年は運動するぞ〜〜

2017

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ブログが全然続かない!むー。

当初かかげていた英詞自己翻訳ができていないので、ブログの説明文から一度消しました。画像は1ヶ月前の京都だけれど、お正月ぽいので載せました。鯉と市松。今年を総括するっぽいタイミングなので、便乗。

◎しごと

今年は仕事をすることが今までで1番楽しかったかもしれない。(内心きょどりビビりながらも)憧れの方々に会うことができたり、これまでにない規模感のものを回せた達成感がある。わたし一人では何もできないけれど、いろんな人と自分なりに関わりを持つこと、潤滑油的に動くことが、わたしはある程度得意と思っていいんだなと思えた年だった。わたしの仕事感みたいなものは他の人よりもきっとずっと単純で、好きな人に会いたいとか、昔の自分を喜ばせたいとか根底は感情がメインだから、来年はそういうものをもっと言葉にしていけたらと思う。勝手に距離を持たせて謙遜的なスタンスを取るのは、そんなに意味がないことなんだと思う。あと長年、自分のやっていることにガチッとはまる名前がなくて、身近な人にも「結局何をやっているの?」と言われることもあって「ええとね、なんて言えばいいかな」とか口籠りながら、遊んでいると思われているなこれは?と感じることもあったりして凹むことが多かったんだけど、クライアントの中で自分的な動きをしている人が自分を「オーガナイザー」と呼んでいて、なるほどじゃあ私もオーガナイザーか、と思えたりした。

あとはそれなりに年をとってきて、中間管理職的なメンタルが芽生えてきたことがここ最近で一番楽しい。悩ましい要素も多いけど、ネクストステージ感がして。同世代の友達と世代論みたいな話ができるようになったのも面白いし、今まで同業の知り合いがいなすぎて同業まじ同業・・・と思っていたけど、他業種でも中間管理的なポジションにいる人の考えていることはあんまり変わらないんだ、というのがわかって、何が言いたいかというと、これまでは結構自分ひとりでこうなんじゃないかと考えることだけをやってきたけど(だって美大を出て数年プーして音楽が好きで特にスキルもないんでライブハウスで働き出しましてね・・みたいな流れに共感する人ってあんまりいない)、色んな人と話す時にようやく少し重力というか実感とか目に見えない系のものが自分についてきてくれるようになって、それは私も相手のそれが見えるように少しなってきたので、話をしながら考える、ということが前よりできるようになった気がする。今までの流れとか、関係ないのだ、と思ってきた。自負でしかないというか。自分より若い子はきっとそういうものがまだ分からないから、自信が持てないのだろうなと思ったり。小さい組織にしか居たことがないのに、こういうことは今まで考えたことがなかった。面白いし、来年の課題でもある。 

◎こらーじゅ

カテゴリ分けぽく書いているけど、本当は全部同じテンション。。仕事のところで「好きな人に会いたいとか、昔の自分を喜ばせたいとか根底は感情がメインだから、来年はそういうものをもっと言葉にしていけたらと思う」と書いたけれど、今年はずっとファンだった山下陽光さんが本を出してメールをくれと書いてあって、メールをしてイベントに行ったりしたことで、このブログを書いているし、たった数人でも自分のことをコラージュをつくる人、と思ってくれる人が増えたことはとっても大きい。

あまり手自体は動かせていないけど、ずっとコラージュを作っている最中の自分の状態が忘れられず、あれは何だったのかなあと思う、ここ数年だった。だから「趣味でコラージュをやってまして」と言って、廃棄される雑誌をもらったりしている自分がなんか面白い。以前までは、本当に距離の近い友人にしか言えなかったことだ。あと自分はおせっかいでお人好しなので、オーダーされてコラージュをつくるのが好きなんだと思った。でも、今のところ誰からも特にオーダーはないので、自主的にコラージュを作っていきたいなあと思う。。笑

◎からだ

今年は思い立って(というか、タレントのぺこちゃんに影響を受けて)8月末から炭水化物を抜いたり、たまに走ったりして、4キロ痩せた。元々太っていた(る)ので、痩せたね〜と言われることは単純にうれしい。身体的なコンプレックスは、20代は凄まじかったが、最近は薄れてきた。できればあと3キロ痩せたいなと思う。あとダイエットに伴って、野菜とか肉を使ったスープを自炊するようになった。料理とか無理系女子だったので、これは超革命的だった。だいたい週1くらいで、2種類のスープを同時に大量に作って冷凍して、その1週間の朝ごはん・たまに昼ごはんにする。色んな味のスープを作るのがたのしい。トマト缶、ココナッツ缶、カレー、日本酒系とか。あとは旬の野菜を食べるという行為が尊いと思えるようになってきた。

◎めんたる

からだがいい感じになった分、メンタル状態もよくしていきたい。今年もたくさん泣いた。目も腫れた。大体が、対ひとに対する事項か、単純にホルモンが悪さしているかどちらかなので、前者の場合は、できるだけ優しい気持ちでいられるようにしたい。後者の場合は、仕方ないものだからできるだけ眠るように心がける。(たまに全く起きられなくなるけど。) 

◎ことば

昔から知っている宇多田ヒカルの光の歌詞を、忘年会中のカラオケ画面で見て、あらためて最高すぎるな?と思うようなこと。「もっと話そうよ」からの1節で、泣けてしまう。

言葉は伝わるとは限らないけど、使わない訳にはいかないところが難しい。期待もしてしまうし、勘違いの元になってしまう。言葉を放ったからといって、それは何にも偉くなくて、自分よがりな発言になっていないか踏まえる必要がある。だから、よくもわるくも、ちゃんと伝わらないということを、こういうこともある、って思う懐?も必要なんだと思う。でないと「なんで分からないの??」と怒れてしまうから。でも本当に本当にむずかしい。多分まだ全くできていない。

◎いんぷっと

本や映画を摂取する機会がとっても減った。来年は携帯を適当に見る時間を減らして、作品を摂取する余裕をもっと持ちたい。 

◎べんきょう

いんぷっとと同じで、必要だなと思ったことを摂取するようにしたい。セミナーとか自己啓発とかには一切関わらないようにしてきたけど、必要だなと思えたら、自分から摂取してみるようにしたい。いんぷっと欲は大体表現ものだから、それとは区別して、こっちも摂取していきたい。

◎ともだち

今年友達がほしいほしいと連呼していたのは、恋愛が終わったから(友情と愛情の区別は本当にむつかしい)と、中間管理メンタルが芽生えたからだと思う。頭のきれる年下ともともだちになりたいし、関わったことのない界隈でも話して楽しいひとはいるかもしれない。いろいろと決めつけて保守的で暮らしてきた部分があるから、それをもう少し解放していきたいな。

身の回りでは弟が結婚し、祖父が亡くなった。父は今年定年を迎える。

悪魔のしるしの危口さんのこと、滝尾さんのことがまだ処理できていない。 

とにかく冒頭の「好きな人に会いたいとか、昔の自分を喜ばせたいとか根底は感情がメインだから、来年はそういうものをもっと言葉にしていけたらと思う」ということが、自分にとっては、色んな側面で必要なことなんだと思う。言葉にすることは難しいし、ちからを使うけれど、伝えずに後悔してしまうことが少なくなるようにしたいなと思う。恋愛から学んだことは、好きなものをちゃんと好きと言って良いということ、それを受け止めてもらえるということがこんなにも嬉しいことなのか、と知れたことだと思う。

ひとってどらまじゃないから、どんなことがおこるかわかんないよね

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植本一子さんの最新作「降伏の記録」読了。「かなわない」「家族最後の日」、ECDさんとの「ホームシック 生活(2~3人分)」、ECDさんの「他人の始まり 因果の終わり」も読んだ。webコラムも読んでいる。

元々ECDさんを知ったのは、曖昧だが、多分空間現代(バンド)とのライブ動画だと思う。かっこいい。

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あとは、ロンリーガール。

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空間現代も、加藤ミリヤのロンリーガールも、向井秀徳が良いと言っていたので、知った。あとはTwitterをフォローしたり、フォローを外したりしていた。

植本さんは写真家であり、プロフィールに「文筆家」と書かないようにしているとも書かれていたが、私にとっては写真よりも「かなわない」を書いた人、というインパクトが最初だった。これは去年の本なのか(もっと前から私の中にあった気がする)というくらい、大事な文章たちだった。わたしはそのとき30歳だったので「30歳以降に摂取した(それ以前に触れていてはきっと理解ができなかった)重要なものになると思う」みたいな感慨があった。

元々、川上未映子山崎ナオコーラが2大好きな作家だった。20代前半は自分的に荒れた時代で、自分を大切にしていなかった。その時は、大森靖子小谷美紗子に救われていた。20代後半は、自分を大切にすること↔︎誰かに大切に想ってもらえる可能性が自分にあることを知り、それがとっても衝撃的で転機だった。仕事を変えたり、毎月体調→メンタルの問題が爆あると思い、素直に婦人科に通うようになった(私が通っている婦人科は本当に最高なので、都内の悩める女性みんなにおすすめしたいくらいなのだ)。同じくらい、愛ってどういうことなのと悩んだし、たくさん泣いたし、それは今も考えている。優しさとか大事だからこその怒りの度合いとか身近にいる人のことを前よりも考えるようになった。

だから「かなわない」の「愛はこういうことだよ」というコピーは「どういうことなの!?」と思って、すがる気持ちになったし、「家族最後の日」の「今を生きてる?」、今回の「誰と生きてる?」も沁みるかつひりひりと考えさせられる言葉だった。

植本さんの生活圏内は、今の自分と近しいので、読みながら「あそこのラーメン屋のことかな」と目星をつけたらあたっていたり、「あそこのカレー屋か、今度いってみよう」とメモしながら読むことも多かった。今、同じエリアでこんな風に、こんなことを考えらながら暮らしている人がいるのか、と思うことも、ひとりで暮らしている自分としては、たいせつなことだった。

昨日も、植本さんの本にもよく出てくる、初台の読書をするためのカフェ・fuzkueで、「降伏の記録」を読んだ。私語厳禁のカフェなのだが、定食が美味しい。昨日はあったかいお酒を飲んだけど、たまげるくらい美味しかった。足の伸ばせるソファがあって、そこがお気に入り。帰り際に、お店をやられている阿久津さんに「ここで読むには最高な本ですよね」と声をかけていただく。私は植本さんの本でここを知ったんです、とお伝えした。最近植本さんともお話できる機会があったのだけれど、阿久津さんともお話できて嬉しかった。

以前まで、影響を受けた人には完全ミーハーな反応(ファファファ、ファンです)しかできなかったのだけれど、最近はできるだけ場をわきまえて会話できるようになったと思う(思いたい)。私は公私混同的に仕事をしてきたタイプで、好きな人・影響を受けた人と実際に会えることがある。逆にいえば、そういった好きな人・影響を受けた人や事柄がなければ、私はなんの仕事も出来てこなかった可能性がある。だから、巡り巡ってそういう人や事柄には、感謝して、もっと深めていきたいなと思う。

旦那さんも子どもちゃんもいないタイミングで、植本さんの文章に出会えたことは本当に大きい。

Instagram Art

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これは何気に初めて行った六本木アートナイトビビット広報担当・実花さまブース。実花さまは高校の図書館で見つけた写真集「like a peach」で衝撃的にスゲーとほぼ初めて写真という媒体を意識したきっかけでしたが、今はたまにモヤモヤした気持ちになったりしながらチェックしてしまう方という感じ。

インスタグラマーなる方の影響力が現在大変半端ないことは重重承知な上、実花さまの作品も=フォトスポットで、写真家がフォトスポット作るってメタじゃね?的背景も感じず、普通に可愛いフォトスポットだよ〜んという感じだった。フォトスポットに紛れていた自販機は協賛のメーカーかな?みたいな。実花さまはまだいい良い方で、中華街で買ったのかな?みたいなプラ製のモビールみたいなものを下からライトアップした作品もあり、これは作品ではないなあと思ったりした。なんならこの写真を撮る撮られるの構造に中指立てることがアートの前提なんじゃないのと思うくらいにはそういう雰囲気が満載だった。セルフィーも含め写真撮ったりもしたけど、撮らせたいんだろけど撮ったらあかんなと思えるものもあった。ただでさえ距離が出来てしまったアート鑑賞がどんどんわからなくなるなあと思った。一部しか見れていないから、印象でしかないけれど…

六本木の8という巨大な男性器の鐘がディスプレイである中華屋で、友だちの連れてきていた友だちが昔好きな男の子に予約した店で告ろうとしたら、隣に座ってた失恋したメンヘラが手首切り出して告れなかったという話がホラーでアートナイトよりも面白かった。。