コンクリのフリル

手collage・blog

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年始は長い時間テレビを見てビールやワインばかり飲んでいますが、12月も前半忙殺→後半連日忘年会で、ジムに全く行けていない

元々体育的なことは得意なのですが唯一走ることは、短距離でも長距離でも自分にとくにメンタル的にハマっていない気がして(中3のとき短距離テストのあとに体育の成績が下がって教師にクレームを言いに行った熱き思い出や、高3のときに3キロを授業で走らされて「こんなつらいことはもう自ら二度とやるものか。。」と走る行為と決別を誓った思い出などが強烈)、これだけはちょっと。。という感じだったのだけれど、ジムで無理くりたまに走るようになり、その習慣が途切れると「そろそろ走らねば…」と思うようになった。これはすごい。身体が話しかけてくるかんじ。たまに歩きながら6キロを45分で走るというのが、最近できるようになったこと。ただ、昔も今も走るあいだ何を考えればいいのか迷子すぎてiPhoneで音楽きいて気を紛らわしているのだけど、紛らわしている感が拭えない感があるなあと思っていた。

そして古本屋で200円で買った、ランナーでもある村上春樹のエッセイを風呂場で読み終わった。

走っている最中の実況(身体のこともメンタルのことも)が続いてたのしい。きつくなってくると、自分を機械だと言い聞かせたり。面白かったのは、村上さんは夏はトライアスロンをやるので水泳の描写もあったこと。わたしは走ることが嫌いな代わりに水泳は大好きという自負があり、生理さえ発生しなければずっとスイミングスクールに通い続けていたと思う。ランニングでタイムを競うメンタルはないけれど、水泳では1秒でもタイムを縮めるために練習しまくっていた時期があるので、「そうか、水泳しているときのあの頭の状態を走っているときにも作れたら気持ちいいんだなきっと」ということが、本を読んでいて想像できた。これは収穫。水泳は水の中にいるだけで、周りの環境音は断ち切りやすいし、自分の呼吸に意識的になりやすいんだと思う。読書をしているときくらい超個人になれるから好き。ランニングでもそれを起こせたらいいけど、いろんな人がいて、いろんな音が鳴っているジムだと難しいかなー?とか。水泳もまたたまにやってみたらいいかも。

お酒はやめられないけど、今年は運動するぞ〜〜