コンクリのフリル

手collage・blog

を待ちながら

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アゴラ劇場で観劇しました。 : を待ちながら 作:山下澄人 演出:飴屋法水 

なんでも自分自身で肯定して良い、かつ、そこにある状態は肯定するしかない、というようなことを思いました。わたしはベケットを知らない、かつ、元々苦手だった批評的に思想や感覚を抱く意識が最近またどんどんどんどん持てなくなっていることもあり、客観性のかけらもない、本当に個人的なことばかりを考えていた。

例えば、出演の荻田さんのことは、悪魔のしるしの危口さんと重ねて見ていた。彼の最後の日記を思い出していた。「脳に出血」という話では、やはり悪魔のしるしの滝尾さんのことを、本当に勝手に思い出していた。

最近、飴屋さんの「彼の娘」をサイゼで一気読みして、物凄いラブレターだと思った。山下さんの「ほしのこ」は今読んでいる途中なのだけれど、読む前に山下さんのTweetで、昆布ばばあのモデルとなった(?)、北海道の海辺を歩くおばあさんの短い動画を見てしまい、小説やフィクションがなんだとか、そういう意識が全くなくなって、山下さんの何か現実的な、もしくは強烈な何かに引っ張られた、そんなリアルな描写なのだろう、という気持ちで読んでいるところだった。飴屋さんは「彼の娘」という本媒体のそれを、演劇と呼んでいた。エッセイではなく、嘘で出来ている演劇だと。

そういう途中のあたまの状態で、アゴラに行って、それらがそのまま地続きに展開されているように感じた。なので、不条理劇だとか、そういったことは全く思わなかった。いるようでいない、ということは自然に起きていて、いた人が一瞬でいなくなってしまうこともある。そこに怒る人もいれば、それを流す人もいる。最近のTLの方がよっぽど不条理というか、いきなりガラス窓に瓶とか石を投げられるような、過激な情報(間違っていたりねじ曲がっていたり)があまりに突然、鈍器殴る的な勢いで目の前でビュンビュン飛んでいる感じがあると思う。そういう意味で、この作品はとっちらかった部分も含めて「これで、それでいいんだよ。だってそうなんだもん」と言ってくれているようで、ありのままで優しかった。くるみちゃんの「よしよし」。荻田さんの「半分に切ってくれよ」。当たり前のように痛い辛いものがいっぱいすぎて泡ぶくを吐きそうになるけれど、それをちゃんと言葉にしたっていいし、言葉にならない状態で発してもいいし、誰かにあたったって、それでしか消化できないものがあるならば、それはそうあるべき、というか、それをダメだという権利は本当は誰にもない、といったようなことを思いました。 

私は当日券で入れました。10/1までです、是非。

太腿コスモ

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気づけば1ヶ月更新していなかった!

今は久しぶりの休みで生理にもなり運動する気持ちにもならないので、日焼け止めだけ顔に塗って脱毛にいって、代々木公園でボーッとしているところ。カラスがたくさんいて沐浴している、カラスは頭だけがふっさふさしていて、木に止まってると音符みたい。噴水はデカくなったり小さくなったり。アー写を撮る4人組、ギターを弾くひと、カラスに吠えるカモ。金木犀の木がもこもこと立っている。スッピンできればノーブラ、できればパジャマで外で出歩くことが何歳になっても必要。特に生理になるかならないかのPMSのタイミングは毎月それがしたくなる。食欲も睡眠欲も上がり、むだに悲しくなったりする。風邪かなと思うくらい体温があがることもある。仕事でもぼーっとしてしまう。それが生理前。毎月28日ごとにいらっしゃるからだの都合。抗えないのでぼーっとする。できるだけ許す、流す。

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この1ヶ月で変わったことは、ダイエットを始めたこと。ぺこちゃんと自宅にジムを作った筋肉ともだちに感銘を受け、炭水化物できるだけ抜き、できるだけ19時以降食べない、できるときに運動。しかしグラフの波で一目瞭然、友だちや会社の飲み会でこのルールが守れずやっぱり増えちゃうんだな。何もなければ大量に野菜を切ってスープを食べる日々。トマト系、ココナッツミルク系、カレー系、ナンプラー酒系、コンソメ系など味をいろいろにして。自炊するようになったので良しとする。ジムでは45分で6キロ走れるようになった。ヨガの先生から「第3の目」という言葉が出てオモロいなあと思う。そんな感じでこのまま続けてみる。

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最近読んだ本は「初恋と不倫」「他人の始まり 因果の終わり」「ホームシック2〜3人分」「彼の娘」、前までほぼ小説か詩集しか読まなかったのに歳のせいか最近はエッセイ的なテイストのものばかり。読みたい本がたまっている

最近観た映画は、黒沢清の「散歩する侵略者」。また愛の迷子になりそう(愛とはなんなんだぜこれか?これじゃないのか?的なことを考えることが多い)

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コラージュをするために、美容師さんが雑誌をくれるのを待っていたら1ヶ月たっていて、こんなんじゃアカーンと思った次第。以前はタンブラーで画像をスクラップしまくっていた。時間泥棒すぎて辞めたのだけれど、また始めるべきか?

お金もなくってすぐに気持ちがへこたれそうな時だからこそ、やれそうなことをメモ。やるぞ〜!

セブンイレブンで予約できる、コラージュカレンダーをつくる(今週中)

・suzuriでグッズつくる

・仕事でやっているマルシェにそれらを出店

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 自己和訳はできてないけど、音楽についてもぼーっと考えることが多い。最近は文脈も何もいらんから、とにかくからだがただ反応するようなものが欲しい。大森靖子さんとヨギーさんの魔法喧嘩は普通に礼儀の話だと思ったし、ファンの感じを見ているとみんな子どもなんだろうなと思った。直接リプライできる世の中はやはり凄いなあと思いつつ、新しい地図をみているうちに「ジャニーズ タブー」「芸能人 宗教」「芸能人 自殺」に行ってしまう私は、やはり生理前だったんだと。そういったヒリついたもの、誰かにぶつけたくなるものはたくさん転がっているし、歳とるごとにヘビーになる印象。だからこそ、昔みたいにすぐ投げ出したり壊したりするんではなく、どんだけ優しく穏やかにあれるかみたいなことを大切にしたい。無理しなくてすむように、必要とされる場所ひとを選んで過ごしてきたつもりだけど、それをもっとちゃんと考えていきたいな。というのと、損得だけを考えることは紙一重なのが人生むずいと感じる点。そういう意味では、わたしはまだフリーランス的なビジネス脳が弱いんだろうなと思う。

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太腿をぶつけてできたコスモ。またコラージュできたら、投稿します!とりとめもない日記だ。

中目黒目中

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ブログとして書きたいことが溜まっている(向井秀徳展、Chim↑Pom展、悪魔のしるし搬入プロジェクト、高円寺阿波踊り、飴屋さんの「彼の娘」を読んだこと、踊りたいなあと思うことについて⇆大好きなダンサーさんのWSに参加した日のこと⇆ライブハウスにぎゅうぎゅうになってステージを見上げるフェーズから離れている気がすること等)のだけれど、中目黒のギャラリーVOILLDさんが主催する、TOKYO ART BAZAAR vol.2に行ってきた。vol.1も行ったし、わたしはこういう界隈の方々、その作品たち、雰囲気がすきなのだ。雑だけど、美大、パンク、ストリートみたいな感じ。加賀美健さんのキャップを被っていった。手作りのシールやZINEを買った。フォーを食べた。レッドアイを飲んだ。

知り合いの方もいたし、自分の出身大学である美大出身の方もたくさん出店していた。でも大学生当初から思ってきた「みんなお洒落だなあ〜(馴染めないなあ、馴染みたいなあ)」を久しぶりにちょっと体感した。もう今さらあまり卑屈に思う度合いも減ったが、やっぱり化粧や髪型をどうすればよいのか、今も分からないでいる。好きな色だけはある。お洒落なひとが羨ましい。わたしをお洒落と言ってくれるひともいるが、わたしはそうは思わない。でもたぶんそれらって全部自信を持つかどうかの話だと思うので、5日前から炭水化物を抜いたりして1.6kg痩せた。最近はサブカルとかどうでもいいから、こういうところにいるような来るような人たちと友だちになりたいなあと思う(そんなこと思わずにできる人もいるだろうから、わたしにはまだ距離がある。一応だから炭水化物を抜いている、わたしの中では理が通っている・・・お花を生けたりしたいのに部屋にはゴキブリが出るのだつらい)

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安部悠介さん、おなじ多摩美の方だった。キラシールや下敷きなどをそのまま使った絵画がかっこよかった。

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途中で見つけたナイスぷれいす、目黒空中庭園

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今いる、お洒落なカフェ。お洒落ってなんだろう。お洒落なひとはそんなことを考えないのだろうなあ。もっと伸び伸びしたいなと思いました

帰省に於いて

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両親が共に大阪の人間なので、このお盆に帰省している。わたしは幼稚園まで神戸に居たのだが、小学生からは東京のニュータウン住まいとなり、どちらの国(国と呼ぶほど、テンションが違うと思う)にも、正直土着愛はない。けれども出身を聞かれ「親が大阪なんです」というと「なんか分かる!」とたまに言われるような人間になった。

ちなみにイベントの仕事ばかりしていて、まともにゴールデンウィークも年末年始もなかった私は、お盆という概念も10年ぶりくらいかもしれない。イベント業界は人がお休みのとき、遊びにいける場所を動かす訳だから、一般のお休みどき=稼ぎどきなのだ。

わたしの祖父母は全員まだ生きていて、特に高校〜大学の頃、若くして親を亡くした友だちもいる中、わたしは親族の葬式に出たことがないまま大人になることが怖かった。遅かれ早かれ訪れるそのタイミングが遅くなればなるほど(もちろん長生きしてほしいのだが)自分自身が知るべき恐怖や悲しみを、知らぬまま大人になるのではないかと思い、その時が来ることを怖いと思っていた。大学の時には家の近所にあった葬儀場でバイトをしようかとも思ったこともあった(親に止められた)。

未だに友だちのお母さんや小学校のときの校長先生(わたしと誕生日が同じ、かわいい先生だった)のお葬式にしか行ったことがない。先日、去年お仕事を一緒にした方が若くして突然亡くなった。亡くなったというはっきりした報せがある前に、Facebook上で周りの方がそのようなことを予感させることを書いており、まさかと思い、その方がよく更新していたSNSを見返しては「更新してくれ」と祈っていた。しばらく信じられず、夜中に頭が冴えてしまい、その暗闇が怖かった。気持ちが落ち着かなくて、まだはっきりとした報せがない中、翌日は不安定になり、人にあたるほど泣いてしまった。結局何度見てもその方のSNSは更新されず、その人がもうこの世にはいないというお知らせが、その方の会社のアカウントから発信された。お葬式に行こうと思い、黒い服も買ったが、結局行くことが出来なかった。前日の夜に、私は友だちから結婚することになったと聞き、嬉しい気持ちになった。言い訳でしかないが、気持ちがゴチャゴチャになり、行くことが出来なかった。

そして今、祖父母は介護施設や病院に入っている。入っていないおばあちゃんも、デイサービスやヘルパーさんのお世話になっている。みんな、それぞれ私とたくさん遊んでくれた、おじいちゃんおばあちゃんたちだ。不思議なのは、彼らは無条件で、わたしや弟を超愛してくれていることで、これは本当にすごい。今日は「あと数日だと思ってください」と病院の先生に言われたおじいちゃんに会いに行った。私たちは喪服まで用意していた。どこも悪くなく頭もボケてはいない、93歳だから弱ってきたおじいちゃん。最近まで達者に自転車に乗ったり絵を描いたり大学に行き直していたおじいちゃん。行く!と豪語していた私の弟の結婚式の直前に転けてしまい、来られなくなってしまったおじいちゃん。3日前に会った両親が「また弱くなっている」と言っていた。しかしいっ時よりは持ち直したという。話そうとしてもうまく話せないようで「うーうー」と言っていたが、私を見て、ゆっくりと「1年ぶりやな。ちっとも変わっとらん」と言ってくれた。その時、このおじいちゃんにとって私は可愛いんだろうなと思った。私は自分の汚いところ、汚いことを思うところ、汚い言葉をはく自分を知っているけれど、彼はただただ私が可愛いのだと思った。もちろん孫らしく私がしていることもあるけれど、ただただ存在を応援してくれてきたのだろうと思った。

手を繋ぎながら「ゆっくり良くなってね」と声をかけたが「ゆっくり」という表現が何かすこし、間違っていた気にもなってしまった。「また来るね」と言ったら、横にいた叔父が小さく笑った。「もう、また、は無いんじゃないか」という意味合いだろう。おじいちゃんは強がってか「大丈夫じゃ」と言ったけど、たぶん大丈夫ではないのだろう。そしてそうしているうちに、おじいちゃんの息だと思うのだけれど、嗅いだことのない匂いを感じた。もう点滴のみで、口からご飯はしばらく食べていないのだけれど、ゴムを揚げたような?そんな匂いだった。初めて感じる種類の匂いだった。なにか薬剤系のものなのかもしれない。

おじいちゃんと手を振って別れ、次におじいちゃんが入るかもしれない近くの施設を見学に行ったりした。両親が老人になったら、わたしも同じことをするんだと思ったら、とても勉強になった。「2人とも超頑固な老人になりそう〜」と言うと、両親は笑っていた。笑い合ううちは平和だけど、いつか来るであろう未来。

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そのあと、父曰く「ディープな大阪を見せたる」とのことで通天閣に連れて行ってくれた。わたしは、通天閣=ヤクザもののドキュメンタリー映画で見たなあヤクザめちゃいるんやろなあという印象だったが、父は「この裏には日本最大の売春ストリートがあるんや」と言い続け母は「娘に何いってんねん!!」と言い、ゲラゲラしていた。二度付けは許しまへんで的コッテコテ、ギットギトテンションの串カツ屋がぎゅうぎゅうにあり、街が臭かった。確かにタイやベトナムに行ったときのことを思い出す異国感があった。大阪出身の両親もなかなか近づかなかった(近づくなと言われていた)エリアらしい。通天閣に登ろうとしたが50分待ちだったので辞めた。通天閣の下では猿回しがやっていた🐒

とある串カツ屋に入った。店内は17時頃だというのにファミリーや観光客で混みいっており、賑やかだった。これで24時間営業というのもヤバイ。不思議だったのは、店に入った瞬間、おじいちゃんの病院で感じたあの匂いを思い出したこと。あんまり食べられないかもしれないな、と直感的に思ったりした。とはいえ、それなりに串カツも食べたし、とんぺい焼きというのも初めて食べた。甘めのソースとマヨネーズ、ぶよっとした小麦粉があれば、大阪の味になるのでは、と母が言っていて、そうかもなあと思った。

病院にいたのは父方のおじいちゃんであり、帰りは母方のおばあちゃんの家に戻った。明日は終戦記念日なので、NHKは戦争の話題も盛り込まれていた。お盆=終戦記念日、という印象があるのだが、お盆をwikiで見ると、当たり前か、もっともっと昔からの行事のようだ。偶然、戦争がお盆の時期に終わっただけなのか。おばあちゃんは最近、さっきまで話していたことを忘れてしまうようになったが、戦争の話はずっと覚えている。記憶については、向井秀徳展のことと合わせて書きたいこともあるのだけれど(記憶がぱつぱつ飛んでいるなあと思うことがわたしはあるのだが、向井さんはそれを歌ってくれた人だと勝手に思ってきた)、戦争は無理やりでないと忘れることができないんだろう。おばあちゃんの戦争体験を両親と聞いた。そして、お風呂に入ったその瞬間に、勘違いかもしれないけれど、またあのおじいちゃんの病室で嗅いだ匂いを感じた。タオルを嗅いだが、そこからではなかった。そこはかとなく、串カツ屋でもお風呂でも感じたあの匂いは何なのだろう。嗅いだことのない類の匂い。わたしはその匂いについて、東京でも今後感じることになるかもしれないなあと思った。また感じたときには、何かを思うことになるかもしれない、という風にも、なんとなく思った。明日は太陽の塔あたりに行って、また東京に戻る。戻ったら、また仕事が始まる。現実ではすぐイライラしたり、不安なことも多いけれど、できるだけ、優しい自分でいたいなあと思う。昨日読んだ、いろんなお味噌汁のレシピ本は楽しかった。出汁と味噌があれば、何を入れても味噌汁と呼べるみたいだ。

最後に、おばあちゃんがたくさんのアルバムを見せてくれた。わたしの母が生まれたばかりの写真や、小さい頃の写真、おばあちゃんが海外旅行にたくさん行っていた頃の写真。それらの写真と共に「◯◯(母の名前)2歳3ヶ月、散歩道で」とか最低限のメモも貼ってあった。旅行先の箸袋などを切ったものも挟まっていて、アルバムってなんて最高なんだ!と思った。記憶も絶え絶えのおじいちゃんおばあちゃんでも、きっとこれなら思い出せる。今はスマホがパーになったら、思い返せなくなる。わたしもiCloudがパンパンで困ったりしていた。昔の人は一枚一枚ポージングする習慣もあってかわいらしい。あと、おじいちゃんおばあちゃんたちはメールはダメだけど、ハガキはめっちゃ読む。父もおじいちゃんと文通をしていた。おじいちゃんやおばあちゃんの分かる、コラージュや手紙を作りたいなと思った。きっと何度も眺め、飾ってくれるかもしれない。

コラージュについて思ってきたこと💭

自分語りします。

わたしは美大を出たあと2年くらい、適当な販売員のバイトを週3くらいでゆるくやりながら実家に住み、演劇に参加させていただいたり、ライブに行きまくったり、宴会芸の派生のようなパフォーマンスユニットでライブをしたりもしたけれど、結局「誰々が大好きです!」「誰々の作品をお手伝いさせていただきました!」「誰々のパロディなだけで本気じゃありません!」と連呼しているだけで、特に自分で何かを生み出しているかといったらどうだろう、咀嚼して、それら素晴らしいものの一部であるかのような気分に浸っているだけなのでは??と思ったりしていました

🦄

そしてこれは家を出て働かねばならないと思い、ライブハウスのブッキング(イベントを作るひと、制作とも呼ばれる)というお仕事を始めました

わたしはいわゆるロキノン厨だったので、音楽業界にいましたとか音楽に詳しいですとかそういう人間ではなく、ライブハウスにいるお客だっただけなのですが「わたしがお客ならこの組み合わせに2500円+1ドリンク出すな多分」「数年前のわたしみたいな男女がこのイベントに80人は来てくれる気がする」と自問自答というか、自分のキャッキャした音楽イベントへの感情をネタに掘り下げて、アテをつけてイベントを作っていました。ミュージシャンや業界人に知り合いもいないし、その方法しかできませんでした。

働いていくなかで憧れのミュージシャンの方とやりとりをしたり、自分のイベントに出ていただいたり、ステージ上で「今日は素敵なイベントタイトルをつけてくださって、嬉しかった。わたしの曲を聞いて考えてくださったんだとおもう」と言ってもらえたこと、本当に嬉しかった。

⚡️

と、ここまでコラージュの話になっていないけれど、自分の中で共通しているのは、

・自分が楽曲や絵画や身体表現など、素晴らしく人の心を掴むそのもの自体を作ることはできない

・素晴らしいと思えるものがある場所に身を置くことは不快ではない、できれば置いていたい

・何かを組み合わせることなら少しできる

・組み合わせられることを待っている人はいる(=自分で組み合わせられない人がいる)

・組み合わせが新しいものことを生む可能性がある

という感じのことで、わたし自身、人と人を組み合わせたり、スケジュールやお金を調整したり、その場にいるお客さんやアーティストが居心地大丈夫かガン見するみたいな仕事自体が、コラージュみたいだなあと思ったりしていました

金継ぎ体験がしたいのだけれど、わたしは食器そのものにはなれないし、あのトロトロの美しい金なんですとも言い難いので、無色の繋ぎなるものになら、頑張ればなれるかもしれないなあ、それが向いているのかもしれないなあと、ボンヤリ考えているところです。

作っていたコラージュも、いい絵やデザインや写真を生み出すちからがないので、人のものをお借りして、組み合わせていたという感じで、本当は著作権など微妙なこともあるのだろうけど、出会ったことがなかったものを出会わせることはスリリングだし、たまにアチャーということもあるけれど、意外なグルーヴになるみたいなことを、わたしは信じているのかもしれません。(こんな壮大な言い回しにする気はなかった)

自分の部屋の壁も好きなものでぺたぺたになっている。彫刻をつくったり、立体的な捉え方がおそらく苦手なので壁がこうなる。いろんな方の堕落部屋の壁バージョンが見たい。

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あと、Twitterで「コラージュ」と検索するとこのノリばかりなのだけれど↓

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個人的には↓こっちの方がtheコラージュって感じがして好き。かわいいかっこいい。

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ライブハウスをやめたあとも、イベント制作的な仕事をしていて、いろんな人に会うことは楽しい。以前はあった「誰々が好き、嫌い」もほぼなくなった。なさすぎて困るくらい。

と同時に、狭くてしあわせななんとか界隈、みたいな世界観に留まるのが苦手だったんだなあとも思った。中学のとき、誰ともにこにこやれたけど、女子の連れショングループに入ることだけには相当な拒否感があった。

と同時に同時に、やっぱりなにかのカテゴリーに自分もはまりたいなあ、もっと同カテゴリ?の友だちがほしいなあとも、ずっと思ってきた気がする。むつかしい。

そんなこんなで、コラージュ(と呼ぶことがジャストじゃないのかもしれないけど)は「生み出せないなあ」というコンプレックス自認と共にありながらも、自分はやらないよりやったほうがいいんだろうなあ(やりながら、また何かを思えるかもなあ)と、ぼんやり思えるポジションにあるような気がする。

OPEN

「途中でやめる」の山下さんに影響を受け、5年ぶりにblogを開設しました。「バイトやめる学校」という著書がバチクソ最&高です。

このブログでやっていきたいことは、今のところ3パターンあって、

▼自分でつくっている(正しくは暫く作っていないのでこれから作りたい)コラージュの紹介

過去に作っていたのは、↓こんなのもの。全てイベントのフライヤーとして作りました。

PhotoshopIllustratorが使いたくてもどうしてもツールとして使いこなせなかったので、ハサミやコピー機修正液などを使ったアナログ製(?)です。

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言うだけは自由だし、自分が思うほど誰も私のことは気にしていないのが世の中なので、調子に乗って淡々と書いてしまうと

自主的にも作れるけれど、誰かにオーダーいただける需要があるなら、答えたい。

・オーダーまでいかなくても、もしこんなものに興味が湧いてくださる方がいるならば、やりとりをしたい。感想をきくだけでもいい。

・本の装幀や服や布のパターンやCDジャケットや何かの背景にでもになりたい(つまり誰かとのコラボレーションの余地があるならば、ということになると思う)

ということを思っています。ざっくばらん。 

これらのコラージュなるものは、過去にダサい評価をされたりして(実際クール系ではないとおもう)しばらく封印していたのですが、やはりあれを作っていたときその瞬間って楽しかったなと日々思い返すことが多く、良かったよと未だに言ってくれる友人もいて、続くかわからないけれど、こうやって何か始めてみた風の行動に出てみよう、と思いました。

▼超ありがちですが、仕事を始めたら暇じゃなくなって、140字までしか文章がかけなくなってしまった気がするので、リハビリ。

以前は携帯で駄文というか謎ポエムというかを1ヶ月max200件ほど書いていた、懐…

▼自己満に英詞を翻訳したい

わたしは日本語しかわからないため、洋楽を一切聴いてこなかった歌詞厨(歌詞の意味がわからず聴くなんて制作者に対して失礼だと思っていた、ちなみに向井秀徳さんが大好きでした)だったのですが、そんな私が参戦する権利はない一生行けないだろうと思っていたフジロックに、去年今年と参戦したところ、もはや歌詞どころか知らないアーティストでも、楽しいものは楽しい。踊れる。なんとなく楽しいが失礼でもないっぽい、なんなら許されている気がするというかその自由さが音楽の本質??みたいな境地に陥りました。(個人的には超凄い体験だった。事前の理解がなくともその場で融合することができるんだ。。という)

そして今年のビョークのラストがPVが大好きで何を言っているかは知らないわからないけれどマジ良いPVだなあミシェルゴンドリー大好き〜という認識だったHyperballadという曲だったのだけれど、

www.youtube.com
その訳詞を一緒にいった友人があとで送ってくれて「こんな歌詞だったのか!」と思い、苗場から戻って来てからじんわり、ということがあった。

その訳詞を見てから、英詞をみると、確かに難しい単語はそこまでなく、映画「メッセージ」で主人公がヘプタポッド語を理解した瞬間みたいな喜びが、少しだけあった気がした。単純に日本語訳をみたあとに、元の英詞をみたら読めた気がした〜!!という、この子馬鹿なのかな?みたいなことだけなのだけれど、辞書を使いながら、自分なりにわかりたい外国の歌を、自分なりに和訳するのは楽しい気がする、と思いました。何よりビョークが何を言っているのか、自分なりに分かろうとするということが、一切の洋楽を拒否してきた自分には必要なことな気がして。

そして直訳だと変だろうから、自分なりに「ここまでこの単語の意味を広げてもいいんじゃないか」みたいなことを考えるのは、NOVAに通うことより、外国語を身近に感じることができるのではと思いました。歌詞厨出身だからこそ、そうやって詩的なものに関わろうとしたいなと思いました。

このへんのことで思い出すのは、昔わたしはtumblrにハマっていて、親にも心配されるほどリブログしまくりエブリデーだったのですが、そこで日々リブログしあっていた、きっとどこかハンガリー?どこだろう?とにかく異国の女子が、震災が起こったときに、「あなたは日本人でしょう?無事?停電が起きているの?」と、tumblr上でメールをくれたんです。それに対してわたしはGoogle翻訳で「ありがとう。わたしは東京だから大丈夫。計画停電はあるけど、大丈夫だよ」的なお返事をした。でもGoogle翻訳あるあるか、うまく伝わらなくて「ん?どういうこと?」みたいなやりとりがあったあとに、彼女が「今のわたしたちって、ロスト・イン・トランスレーションみたいね(笑)」とメールをくれた。

これは本当にすごい体験で、私たちは好きな画像が似通っていてリブログをしあっていたことで、「この画像収集感があるなら、相手もロスト・イン・トランスレーション(ソフィアコッポラの言語理解や、相互理解の難しさを描いた映画。日本も舞台になっている)を既に観ているはずだ」という部分が、ノー確認、暗黙の了解になっていたのです。もちろん、既にわたしも観ていました。

このとき画像のやりとりだけで、感覚が言語を超えた!!!という感じがして、嬉しかった。

すぐに英語ができる、わかるようにはならないけれど、あのときの彼女のような優しさを、自分も持てるようになりたい。

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全くまとまりのないブログになりそうだけれど、残すんだ、自分の島を持つんだ、というつもりで、やってみようと思います。