ひとってどらまじゃないから、どんなことがおこるかわかんないよね
植本一子さんの最新作「降伏の記録」読了。「かなわない」「家族最後の日」、ECDさんとの「ホームシック 生活(2~3人分)」、ECDさんの「他人の始まり 因果の終わり」も読んだ。webコラムも読んでいる。
元々ECDさんを知ったのは、曖昧だが、多分空間現代(バンド)とのライブ動画だと思う。かっこいい。
あとは、ロンリーガール。
空間現代も、加藤ミリヤのロンリーガールも、向井秀徳が良いと言っていたので、知った。あとはTwitterをフォローしたり、フォローを外したりしていた。
植本さんは写真家であり、プロフィールに「文筆家」と書かないようにしているとも書かれていたが、私にとっては写真よりも「かなわない」を書いた人、というインパクトが最初だった。これは去年の本なのか(もっと前から私の中にあった気がする)というくらい、大事な文章たちだった。わたしはそのとき30歳だったので「30歳以降に摂取した(それ以前に触れていてはきっと理解ができなかった)重要なものになると思う」みたいな感慨があった。
元々、川上未映子・山崎ナオコーラが2大好きな作家だった。20代前半は自分的に荒れた時代で、自分を大切にしていなかった。その時は、大森靖子と小谷美紗子に救われていた。20代後半は、自分を大切にすること↔︎誰かに大切に想ってもらえる可能性が自分にあることを知り、それがとっても衝撃的で転機だった。仕事を変えたり、毎月体調→メンタルの問題が爆あると思い、素直に婦人科に通うようになった(私が通っている婦人科は本当に最高なので、都内の悩める女性みんなにおすすめしたいくらいなのだ)。同じくらい、愛ってどういうことなのと悩んだし、たくさん泣いたし、それは今も考えている。優しさとか大事だからこその怒りの度合いとか身近にいる人のことを前よりも考えるようになった。
だから「かなわない」の「愛はこういうことだよ」というコピーは「どういうことなの!?」と思って、すがる気持ちになったし、「家族最後の日」の「今を生きてる?」、今回の「誰と生きてる?」も沁みるかつひりひりと考えさせられる言葉だった。
植本さんの生活圏内は、今の自分と近しいので、読みながら「あそこのラーメン屋のことかな」と目星をつけたらあたっていたり、「あそこのカレー屋か、今度いってみよう」とメモしながら読むことも多かった。今、同じエリアでこんな風に、こんなことを考えらながら暮らしている人がいるのか、と思うことも、ひとりで暮らしている自分としては、たいせつなことだった。
昨日も、植本さんの本にもよく出てくる、初台の読書をするためのカフェ・fuzkueで、「降伏の記録」を読んだ。私語厳禁のカフェなのだが、定食が美味しい。昨日はあったかいお酒を飲んだけど、たまげるくらい美味しかった。足の伸ばせるソファがあって、そこがお気に入り。帰り際に、お店をやられている阿久津さんに「ここで読むには最高な本ですよね」と声をかけていただく。私は植本さんの本でここを知ったんです、とお伝えした。最近植本さんともお話できる機会があったのだけれど、阿久津さんともお話できて嬉しかった。
以前まで、影響を受けた人には完全ミーハーな反応(ファファファ、ファンです)しかできなかったのだけれど、最近はできるだけ場をわきまえて会話できるようになったと思う(思いたい)。私は公私混同的に仕事をしてきたタイプで、好きな人・影響を受けた人と実際に会えることがある。逆にいえば、そういった好きな人・影響を受けた人や事柄がなければ、私はなんの仕事も出来てこなかった可能性がある。だから、巡り巡ってそういう人や事柄には、感謝して、もっと深めていきたいなと思う。
旦那さんも子どもちゃんもいないタイミングで、植本さんの文章に出会えたことは本当に大きい。